「SUBARU WRC HISTORY Vol.88 あと一歩の苦難」
2010.1.29

■1999年第3戦サファリ・ラリー
世界一過酷なラリーといわれるサファリ・ラリー。
1980年代までは、速さよりもマシンの信頼性が勝利の絶対条件でした。しかし、1990年代に入ってからは、信頼性だけでは勝てなくなっていました。
グッと距離が縮まり、かつては分単位で争われていたサファリも秒単位で争われるようになり、さらにサービスの回数も制限され、他のWRCと異なる特殊なイベントではなくなってきました。
しかし、サファリが世界一過酷なラリーであることに変わりはありませんでした。なぜなら完走することすら困難だったラフロードを、他のWRC並のスピードで走らなければならなくなったからでした。
さらにサバンナの照りつける直射日光は、ドライバーが意識を集中させることさえ困難なくらいに上昇するなど、マシンにもドライバーにも過酷なラリーであることに変わりはなかったのです。
この年のサファリは、ケニアの首都ナイロビのジャムリ公園で行われた、2台が同時に走る観客への顔見世的要素の強いスーパーCS(サファリの場合はコースを閉鎖することがほぼ不可能なた
め、SSではなくCS・コンペティティブ・セクション)からラリーはスタート。
そして、このスーパーCSで飛び出したのはユハ・カンクネンとリチャード・バーンズのSUBARU勢。短い区間とはいえ幸先の良いスタートを切り、新生SUBARU初勝利へ向けて翌日のCS2から始まる本格的な競技区間に臨みました。

CS2で「カーブレイクラリー」の異名をとるサファリが早くも牙を剥きました。参加各車はパンクに悩まされ、三菱のトミ・マキネンに至っては両後輪が同時にパンク、そのタイヤがドライブシャフトに絡まり約11分をロスという不運。こときの修理の際に観客がマシンを持ち上げ手伝ったのですが、この出来事が後に波紋を呼ぶこととなります。
SUBARU勢は、バーンズがこの極悪路でベストタイムをマークし首位に浮上。カンクネンも4番手と好位置に着けましたが、3台目のSUBARU、ブルーノ・ティリーのマシンに突然エンジンが停止するトラブルが発生。一度は再始動に成功しますが、再びストップしリタイアとなってしまいました。
さらにCS3ではカンクネンのエンジンもストップ。チームと無線で交信しながら賢明に修理を試みますが回復せず、無念のタイムアウト。
早くもSUBARUはバーンズ一台に望みをかけることとなってしまいました。そのバーンズは、CS3で一度はトヨタのカルロス・サインツにトップを譲ったものの、CS5で再び逆転し首位で初日を終えました。
迎えた第2レグ、ナイロビから北上した赤道直下のイクウェイター・パーク(赤道公園)をサービスパークとしてラリーはスタート。
この日最初のCS6でバーンズはベストタイムをマーク。2番手に浮上したフォードのコリン・マクレーに2分20秒9もの大差をつけ、首位の座をがっちりキープ。その好調な走りに、このままSUBARUのシーズン初優勝に向かって盤石な体勢を築くかに見えました。
しかし、勝利の女神はバーンズに微笑むことはありませんでした。
続くCS7。ステアリングに異常を感じたバーンズは、マシンを止め点検したところ、右フロントのストラットとハブをつなぐ部分の下端であるロアアームとボールジョイントをとめているボルトの欠落しているのを発見。
エンジニアたちとの交信で、クルマの他の部分から代わりとなるボルトを外し修復しようとしましたが、間に合わずに無念のタイムアウト。残ったバーンズがリタイアしたことで、SUBARUは無念のノーポイントとなってしまいました。
ラリーは、フォードのマクレーが移籍後初優勝を飾り、2位にミツビシのマキネンが入りました。しかし、マキネンはラリー後、CS2でドライバーとコ・ドライバー以外の人間がコース内で修理を手伝ったとして失格するなど、サファリ・ラリーらしく最後まで波乱続きで競技は終了したのでした。




