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■1999年第4戦ポルトガル・ラリー

「マキネンの追撃を振り切れて良かった。4位を何とか死守した、っていうところかな」

激闘を終え、4位でフィニッシュしたリチャード・バーンズはそう語りました。

競技の世界に「たら」「れば」はないのですが、もしキャンセルとなった二つのステージが予定通りに行われていれば、戦局はまた違っていたはずでした。

首位奪還を狙っていたステージのキャンセル。それが今回のラリーの結果を大きく変え、SUBARUから勝利の可能性を奪っていったのでした。

ドライバーのラインナップを一新したこの年、随所でSUBARUらしい速さは見せてきたものの、なかなか初勝利を遂げることができませんでした。

チームに足りないのは「運」でした。このポルトガルでもまさに「運」に見放され、つかもうとした念願の勝利は、無情にも手のひらからこぼれて行ったのです。

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観客へのサービスという要素が強いスーパースペシャルステージからスタートしたポルトガル・ラリーは、翌日SS2からが本格的な闘いとなります。

まず飛び出したのは、前戦サファリで優勝し、勢いに乗るフォードのコリン・マクレー。SS1、2、3と立て続けにベストタイムを奪う力走を見せ、後続を引き離しにかかりました。

SUBARU勢ではバーンズが健闘。SS2でマクレーに次ぐセカンドベストを出し2番手に躍進すると、SS5でマクレーとベストタイムを分け合い、SS8では前年にマクレーが出したコースレコードを5秒以上も上まわるタイムを叩き出す快走を見せ、レグ1を2番手でで終えました。

ユハ・カンクネンは6番手、ブルーノ・ティリーは10番手と、SUBARUは3台ともトップ10圏内に着ける好スタート。しかしながら、スポット参戦した新井敏弘はSS3でコースアウトし、残念ながらリタイアとなってしまいました。

レグ1を2番手で終えたバーンズは、レグ2に向けて自信をみなぎらせていました。というのも、バーンズはレグ2の砂利の乗った路面の砂利かき役となるのを避けるため、レグ1のフィニッシュ・タイムコントロールにわざと1分遅着し、あえてペナルティを受けることで、レグ2のスタート順位を4番手にまで下げるという作戦をとったのでした。

この作戦は功を奏し、SS11で再びコースレコードとなるタイムでベストをマーク。そしてSS17でもベストタイムを奪取し、トップとの差を詰めていきます。

この日残るはふたつのSS、距離にして約40キロ。勢いに乗るバーンズは、まさに天王山とも言える残りのステージで、前を行くトヨタのカルロス・サインツ、ディディエ・オリオールはおろか、首位のマクレーさえもとらえようという計算でした。

しかし、そのバーンズのもくろみは藻屑と消えてしまうのです。

そのSS18、19は、あまりに多くの熱狂的な観客がコース周辺にあふれだしたためキャンセルとなってしまったのでした。

バーンズには大誤算でした。こうなっては、順位を遅らせたことさえ裏目となってしまいます。しかもSS15のフィニッシュ後、チームメイトのカンクネンがエンジンの油圧低下で戦列を去っていただけに、チームのショックも大きいものでした。結局バーンズは4番手のまま最終日を迎えることとなりました。

迎えた最終日、失意のバーンズに追い打ちをかけるように、5番手を走る三菱のトミ・マキネンが猛チャージをかけてきました。前日のショックからか、タイムの伸びないバーンズとの差を一気に詰めてきます。

最後のステージ、SS23「ロウサダ/バローサス」を残してその差は12秒2。しかし、バーンズはなんとかこれを振り切り4位をキープしたままゴール。ティリーも6位入賞を果たしました。

ラリーは、最初から飛び出したマクレーがサファリに続く2連勝を飾り、SUBARUにとっては悔やまれる結果となったポルトガル・ラリーは幕を下ろしたのでした。

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