
■1999年第9戦ニュージーランド・ラリー
1999年シーズン、前半戦こそなかなか本領を発揮できなかったSUBARUですが、ユハ・カンクネン、リチャード・バーンズらがマシンにも慣れてきたシーズン中盤戦からその速さが復活。
アルゼンチンでシーズン初勝利を1-2フィニッシュで決めると、続くアクロポリスでも連勝。一気にタイトル争いに食い込んできたのでした。
そして1999年シーズンもいよいよ終盤戦。迎えた第9戦はSUBARUが得意とするニュージーランド。勢いそのままに連勝と行きたいSUBARUでしたが、思わぬ不運が待ち受けていました。
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■1999年第8戦アクロポリス・ラリー
前戦アルゼンチンでシーズン初勝利、しかも1-2フィニッシュというこれ以上ないカタチで勝利した新生SUBARU。続くアクロポリスもSUBARUにとって相性の良いラリー。ここでも連勝して一気に勢いをつけたいところ。
とくにアルゼンチンで惜しくも勝利を逃したリチャード・バーンズは燃えていました。バーンズの気合はその速さに現れていました。SS3、4、5と連続してベストタイム。しかも圧倒的なスピードで2番手を大きく引き離し首位に立ったのです。
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■1999年第7戦アルゼンチン・ラリー
「君たちは僕のことを年寄り呼ばわりするけど、年寄りにしちゃよくやっただろう。正直言って、もう勝てないかなと思ったこともあった。でも、僕はまだ十分に勝つことができる。今回その確信を新たにしたよ」
WRC通算22回目の優勝を果たしたユハ・カンクネンは、ラリー後そう語りました。
そしてSUBARUは、1999年の初優勝をそれまで未勝利だったアルゼンチンで、初日から圧倒的な速さを見せての1-2フィニッシュという最高のカタチで飾ったのです。
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■1999年第6戦ラリー・ド・フランス
前戦スペインでは、伏兵であるシトロエン・クサーラ・キットカーが独走。
4WD勢にとって青天の霹靂ともいえる、FF+ノンターボエンジンであるキットカーの活躍とは対照的に、SUBARU勢はまったくいいところがありませんでした。
そして挽回を期して臨んだ第6戦ツール・ド・コルスでしたが、ここでもキットカーが猛威を奮い、SUBARU勢はまたしても良いところなく、手痛いノーポイントを喫してしまうという結果に終わったのでした。
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■1999年第4戦ポルトガル・ラリー
「マキネンの追撃を振り切れて良かった。4位を何とか死守した、っていうところかな」
激闘を終え、4位でフィニッシュしたリチャード・バーンズはそう語りました。
競技の世界に「たら」「れば」はないのですが、もしキャンセルとなった二つのステージが予定通りに行われていれば、戦局はまた違っていたはずでした。
首位奪還を狙っていたステージのキャンセル。それが今回のラリーの結果を大きく変え、SUBARUから勝利の可能性を奪っていったのでした。
ドライバーのラインナップを一新したこの年、随所でSUBARUらしい速さは見せてきたものの、なかなか初勝利を遂げることができませんでした。
チームに足りないのは「運」でした。このポルトガルでもまさに「運」に見放され、つかもうとした念願の勝利は、無情にも手のひらからこぼれて行ったのです。
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■1999年第3戦サファリ・ラリー
世界一過酷なラリーといわれるサファリ・ラリー。
1980年代までは、速さよりもマシンの信頼性が勝利の絶対条件でした。しかし、1990年代に入ってからは、信頼性だけでは勝てなくなっていました。
グッと距離が縮まり、かつては分単位で争われていたサファリも秒単位で争われるようになり、さらにサービスの回数も制限され、他のWRCと異なる特殊なイベントではなくなってきました。
しかし、サファリが世界一過酷なラリーであることに変わりはありませんでした。なぜなら完走することすら困難だったラフロードを、他のWRC並のスピードで走らなければならなくなったからでした。
さらにサバンナの照りつける直射日光は、ドライバーが意識を集中させることさえ困難なくらいに上昇するなど、マシンにもドライバーにも過酷なラリーであることに変わりはなかったのです。
この年のサファリは、ケニアの首都ナイロビのジャムリ公園で行われた、2台が同時に走る観客への顔見世的要素の強いスーパーCS(サファリの場合はコースを閉鎖することがほぼ不可能なた
め、SSではなくCS・コンペティティブ・セクション)からラリーはスタート。
そして、このスーパーCSで飛び出したのはユハ・カンクネンとリチャード・バーンズのSUBARU勢。短い区間とはいえ幸先の良いスタートを切り、新生SUBARU初勝利へ向けて翌日のCS2から始まる本格的な競技区間に臨みました。
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■1999年第2戦スウェディッシュ・ラリー
全行程が雪と氷に覆われた世界。それがスウェディッシュ・ラリーの大きな特長……のはずでした。しかし、この年は勝手が少々違っていたのです。
この季節の北欧としては異変といってもよいほどの暖冬により、朝でも外気温は0℃前後、さらに積雪も少ない。このスウェーデンらしからぬ気候が、スバルから勝利を奪っていきました。
オフシーズンにテストを重ねて持ち込んだタイヤのコンパウンドもパターンも、そしてスタッドさえも、すべてがこの暖冬のスウェーデンにはミスマッチとなってしまったのです。
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■1999年第1戦モンテカルロ・ラリー
1995年、1996年、1997年と、SUBARUは世界ラリー選手権の頂点に君臨しました。
そして、1998年シーズン。4連覇を目指し果敢にWRCを戦い抜きましたが、
歯車がうまく噛み合わずタイトルを逃してしまいます。
迎えた1999年シーズン。SUBARUは心機一転、新たな体制でWRCに臨みました。
長年スバルを支え続けてきたコリン・マクレーが去り、
ドライバーのラインナップがガラリと変貌を遂げ、
リチャード・バーンズ、ユハ・カンクネン、ブルーノ・ティリーの3人体制。
インプレッサWRC'99も、まったくのニューマシンと言っていいほどに進化していたのでした。
この新生スバルの初戦となったのは伝統のモンテカルロ・ラリー。
バーンズ、カンクネン、ティリーの3人が顔を揃え、
SUBARUはタイトル奪還へ向け新たなスタートを切りました。
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■1998年第14戦グレートブリテン・ラリー
前戦オーストラリアの結果により、残念ながら4連覇の夢が消えてしまったSUBARU。
しかし、まだシーズンが終わっていません。残る最終戦で勝利し、有終の美を飾るべくSUBARUが選んだドライバーは、地元イギリス(スコットランド)出身で、このラリーを得意とする二人でした。
一人はこのラリーを最後にSUBARUを離れることが決定したコリン・マクレー(以下コリン)。そしてもう一人は彼の実の弟であるアリスター・マクレー(以下アリスター)を起用。万全の体制で1998年シーズンの締めくくりに臨んだのでした。
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■1998年第13戦オーストラリア・ラリー
「あと6キロ走れば勝利を手にすることができたのに… なんとも言いようがないよ」
ラリー初日、二日目とライバルの後塵を拝しながらも、最終日に怒涛の走りで遂に首位の座を奪ったコリン・マクレー。
残るステージはあとふたつ。このとき確かに勝負の流れはマクレーにあり、誰もが勝利を疑いませんでした。そしてこの大逆転勝利は、マクレーのドライバーズチャンピオン、そしてSUBARUのWRC4連覇への道となるはずでした。
しかし、ラリー終了時、ポディウムの中央にマクレーの姿はありませんでした…
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