私のスバル歴の中でももっとも長い間愛車だった、LEGACY RS type RA を紹介します。
1991年に新車登録しました。
もちろん購入の切っ掛けは、BC-5が富士重工業SUBARUよりリリースされる直前の1989年に、米国アリゾナ州で達成された10万㎞世界速度記録へのSTI最初のチャレンジと、「もっとクルマになる」の有名なCMのフレーズでした。
ただ、当時まだ4年しか乗っていなかったLEONE RX-turbo を手放すには少し早すぎるのと、手に入れたかった前期LEGACY RS-RA のボディーカラーには、白しか設定されていませんでしたので、結局パスすることに・・・
それから2年後にマイナーチェンジされたBC-5のRS-RAには、白とブラックマイカがラインナップされましたので、迷うこと無くブラックマイカを購入しました。(昔から何故か白のボディーカラーは私の選択肢にはありませんでした)
納車の日、真新しい愛車のステアリングを握ったとき、これが4WD車かと思うほどコーナーでスムーズに頭が入るそのハンドリングに感激したものでした。
また当時はご存じの通り、英国Prodrive でGroup A仕様に仕立てられたLEGACYは、WRCにフル参戦していてもういつ勝利を挙げてもおかしくない活躍をしておりました。
そして1年後、ついにニュージーランドラリーでコリン・マクレーの駆るLEGACY RSが悲願の初優勝を果たしました。
この時は、まるで自分のことのように嬉しかったことを今でもハッキリと覚えています。
それから15年間、私の傍らには常にブラックマイカの愛車LEGACY RS type RAがありました。
実質メーカー公認ファインチューニングカーとも云えるSTiチューンのそのエンジンは、実に気持ちの良い回転フィールの持ち主で、最高出力の6,400rpmまで掛け値無しに軽やかに吹き上がり、必要とあればその上の回転域でもストレス無くレッドゾーンまで回りました。
その後ホイールは、BBS製の鍛造アルミホイールに取り換えましたが、最終的にはテクノマグネシオ製 type 202 16inch に交換して落ち着きました。
また、ennepetal製ビルシュタインのショックアブソーバーに交換したり、藤壷技研製のレガリスマフラーに交換したり、さらに運転席、助手席ともにRECARO A8を奢るなど、若干のパフォーマンスアップとカスタマイズはありましたが、基本的にはほとんどノーマルの状態で乗り続けました。
こうして15年間乗り続ける間、ただ手をこまねいていたわけではありませんでした。
これら以外の細かい変更点は画像で確認してくださいね♪
そして特に12年を越えた辺りから、既にGC8からGDBにスイッチしてWRCで順調に勝利を重ねていたIMPREZAの活躍を横目で見ながらも、少しづつ次期愛車を模索する日々が続くようになっていきました。
それでも当時はLEGACY の次はやはりLEGACY と、特にS401がリリースされてからというもの、次は必ずS402 がリリースされるものだと信じてLEGACY RS-RAを乗り続けていました。
もっともこのように書くとまるで愛車LEGACY RS type RAには飽きて、スグにでも乗り換えたいかのように聞こえてしまいそうですが、この時は愛車に特に不満を抱いていた訳ではなく、実際まだまだこのままずーっと乗り続けるつもりでした。
しかし流石に劣化パーツの交換など、維持が大変になってきていることも事実でした。
ただしそれは愛車の魅力をスポイルするようなものではなく、手放すその日まで本当に魅力的で素晴らしい愛車でした。
それは愛車の画像をよくご覧になって下されば、如何に愛情を注いでいたかがお判りになっていただけるかと思います。(因みにアップした画像は全て手放す直前に撮影したものです)
以上、私のスバルとその拘り-Part 2でした♪