メンバーの皆さまこんにちは!#スバコミ事務局です。
あなたのスバルとの出会い、好きになったきっかけ、愛車とのエピソード、ファン同士の交流、スバルとあなたの物語を、このテーマで語ってください。
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私の"愛車だった"エピソードを1つだけ紹介させて下さい。
ちょっとしんみりした話になります。
今からちょうど5年前の昨日、2011年3月27日、私は愛車のフォレスターXT WRリミテッドのラゲッジルームに沢山の支援物資を積んで被災地でボランティアをしてました。石巻ではどこからどこまでが道路なのかわからないくらいの冠水状態で、それでもフォレスターの車高に助けられながら水をかき分けて進み、避難所を巡りました。
また南三陸では道路に散乱してる瓦礫や逆さまになった車などをよけながら進み、橋が流されてしまってる所に簡易的な橋が架けられてたんですが幅が狭くなっててタイヤ1つ外れたら川に落ちるようなある意味、車の1本橋のような所を渡らなくちゃならない場所があって、そんな橋でもSG5フォレスターの幅でなんとかギリギリ渡れたり。ボランティアから帰ると泥だらけのフォレスターが誇らしく、まさに私にとってフォレスターは戦友でした。
その頃には9万Kmを超えていて、 次の車検時にはタイベル交換だなぁ、あと10万Kmは乗りたいな、なんて思ってた矢先のその年の8月。対抗車線をオーバーしてきた車にぶつけられてしまいました。なんとか修理を…と願ったんですが、その願い虚しく廃車に。
本当にいい車でした。ターボでありながら燃費もリッター10Km前後でしたし、今の現行フォレスターよりもひと回り小さくドライビングポジションも低い。何より小回りが利く。
今もSG5フォレスターを見ると被災地を巡ってた頃を思い出します。
もう思い出話にしてもいいかな...
納車間もない空色のR2で玉突き事故に巻き込まれました。
首都高の渋滞にノーブレーキのトラックが突っ込んだのです。
最後尾のライトバンは前後が潰れR2に追突した拍子にエアバックが開いてました。
私も強い衝撃と共に前の車に突っ込みました。
程なく救急隊や警察関係の人達が駆けつけました。
最後尾のドライバーは足を何かで切って骨が見えてました。
外傷の全くない私も念のため病院へ行くことになりました。(実際には脊椎損傷してました)
救急車の出発を待っていると、R2の周りが人だかりになってました。
「この車、フツーに動くぞ!?」
R2はリヤバンパーが変形してタイヤに干渉しているものの、そこを切ると普通に運転出来たそうです。
病院へ向かう車の中で救急隊員に言われました。
「皆さんは運がいい。エアバックの開いている玉突き事故では大抵一人二人亡くなってますから...」
長い時間はかかりましたが、復帰することが出来ました。
体を張って私を守ってくれたR2は気持ちの整理がつかぬまま手放しました。
次に買ったのは...真珠色のR2です。
空色のR2から外したブルーのカクテルカラーレンズを形見にとりつけました。
一緒にドライブ出来なかった空色のR2と今でも気持ちは一緒です。
初めて自分で買った車はSUBARU REX 5ドアセダン SG ECVTでした。
もう嬉しくて嬉しくて5年で10万キロ走りました。
5年目のある日の深夜、首都高速環状線を走行中に突然エンジンが止まり、それっきりかからなくなってしまいました。
首都高の高架を100m程押して一般道へ下ろし車中で一夜を明かしました。
(今考えても恐ろしい事をしたもんです)
翌日JAFを呼んで最寄りのスバルDラーまでレッカーしてもらい修理に出しました。
原因は点火系の小指の先程のコンデンサの故障でした。
ソレは定期交換部品で行きつけのDラーは交換していなかったのです。
他にも定期交換部品を交換していない事が発覚し、それっきり地元のDラーとは縁を切りました。
今のDラーとはその時以来の付き合いです。
整備が的確で非常に腕の立つメカニックが居るので安心して任せられます。
わざわざ遠路遥々整備に出す価値があると思っています。
長い車歴で故障はこの1回だけですね。
ある日道を歩いていた時の話。
後ろの方から甲高くて澄んだエキゾーストノートが聞こえて来ました。
音はみるみる近づいてきます。
私もクルマ好きなのでその音が特別な音である事は直ぐ分かりました。
どうせフェラーリか何かをドヤ顔でブン回してるんだろうと思いました。
決して耳障りではないけれど、一般公道で許される音量ではありません。
どんな馬鹿が乗っているのか見たくなっ
て振り向いた瞬間、私は凍りつきました。
私の横を矢のように通り過ぎたのは黒のR2でした。(笑)
しかもエアスクープ無し。
もしかして私と同じRグレード!?
以来ずっと自分の中で悶々としたままです。
コイツも回せばあんな音がするのだろうか?
いつかサーキットで試してみたいものです。(CVTだから無理か...)
僕は高校卒業する際に免許を取り、高校卒業後すぐに車に乗り始めました。
免許を取ってすぐに乗ったのは軽自動車でしたが、スバル車に憧れていたので一年でシルバーの初代フォレスターに乗り換えました。車体も大きく感じることもなくかけがえのない存在でした。
そんなある日、職場の女の子とデートに行くことになりました。食事をしたり、カラオケをしたり楽しく過ごしました。
しかしその帰り道、急にエンジンが吹かなくなりスピードダウンしました。本来ならそこで見てもらうのが一番なのでしょうが、女の子の事情もあり車にムチを打ちその女の子を送り届けることを優先してしまいました。
その後、無事に女の子を送り届けることはできたものの、車屋さんに持ち込む前についに動かなくなってしまいました。
自分の使命を果たしたと実感したかのように静かに動かなくなりました。
今でもあの時すぐに車屋さんに持ち込んでいたら違っていたかもと後悔しています。けど、職場の子を送り届けるまで粘ってくれたことはすごく感謝してますし、フォレスター自身もそうしたくて僕にそうさせたのかもしれません。
結局、修理代が高額になることから車を買い換えることになり、その後パルサーセリエ、ワゴンRと乗り継ぎました。
そしてある日、ワゴンRを事故で廃車にしてしまいました。当時、いろんな悪いことが立て続けに起こってしまい、金銭的にそこまで高価な車が買えなかったのですが、お世話になっている車屋さんに紹介されたのは白色の初代フォレスターでした。
色もグレードも違いましたが、その姿を見た時、
「やっと会えたね!待ってたよ!」
とそのフォレスターに話しかけられた気がしました。
もちろん即決で買いました。車の維持も大変でしたが、一緒にいることでどんなことも頑張れたし、お陰で仕事も頑張れ評価されました。
僕にとってスバル車はしあわせを運んできてくれる大切な相棒なのです。
長文失礼しました。