銀吾さん、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
よくカートピアではトピックスの欄に「イスラエルのスバル事情」みたいな囲み記事が載ってましたよね。最近カートピアの前身のスバル誌で「スバル1000を褒めちぎるイスラエルのスバリスト」的な記事を見て、へぇ~と思いました。だって昭和42年といえば、スバル1000発売の翌年で、その当時富士重工業は、日本のディーラー網整備するのもまだ覚束ない状況だった訳ですから・・・。しかもこの時期のスバル誌には、インドネシアやミャンマーでもスバル1000を絶賛するオーナーの記事が載っていて、眉に唾付けて読んでました(笑)。
私が富士重工業の海外展開で知っているのは、1968年にアメリカのディストリビューターとしてSOA(スバルオブアメリカ)が設立されて、翌年からA14型スバルff-1、スバル360、K163型サンバーを手始めに売り始めたことと、同じ年にスバルR-2が「タイ国一周ラリー」(詳細は不明)に出場して、少しタイでの足がかりを掴もうとして失敗したこと、さらに同時期にドイツやスイスに駐在所を設けてマーケティングを行った後、A型レオーネから本格的に輸出を開始したこと、1976年に、あのジェンセンFF を生産していたジェンセンが倒産して現在に続くスバルUKになったことくらいで、中東とかロジスティクスや市場規模の面から考えて、カートピアの記事を読みながら、いつも「よくそんなことやる余裕があったなぁ」と考えていたくらいです。
まあ、要するに、あまり興味がなかった(イスラエルのスバリストの皆さん申し訳ありません!)ということです(笑)。
そうした世界でも、なんとA14型スバルff-1の時代からスバルというブランドが定着していたとは、銀吾さんの話を聞いて初めて知りました。嬉しく、ありがたい話ですよね。
「ピンクスバル」については、3,4年前(?)にちょっとWeb上で話題になって、まあ私は根っからの天邪鬼ですから(笑)、「何も『ピンクキャディラック』の向こうを張った映画を作らなくても・・・。」と思ってまして、まだ見たことがありません。ピンクのA型ブラットが登場する・・・とかWebの記事で読んだ記憶があります。
銀吾さんは、こちらのイスラエルのSubaruholicの皆さんとはご連絡があるのでしょうか?もしあるのなら、ぜひ興味深いエピソードをお聞かせ頂きたいと思います。
よろしくお願いします。