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2019年2月20日 20:07
#スバコミ事務局さん
皆さん、こんにちは。#スバコミ事務局です。
今回は、Vol.103「ボディとシャシーを接合する」に挑戦しました。
①ジャッキを組み立てます。
②車体外装フレームとシャシーを接合します。
③フロントバンパーを取り付けます。
④車体外装フレームとシャシーを接合します。
今週は長丁場でした。
来週もよろしくおねがいします。
<スバルの歴史を学ぶ STI⑭>
背水の陣で挑んだ
ニュージランドラリーで初優勝
1991年、1992年とWRC優勝にあと一歩届かなかったSUBARUチーム。バブル景気が終わって自動車販売も厳しい状況を迎えるなか、このまま勝利できなかければWRC撤退の危機にも瀕していました。
レガシィでの勝利に
1993年、SUBARU陣営はBAT(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)のスポンサードを受けることになり、レガシィもイエローのロゴをあしらった「555カラー」となりました。チームの名称もSWRTに変更され、555カラーはSWRTのイメージカラーとして定着していきます。
1992年に続き1993年のSUBARUチームは、ドライバーにアリ・バタネンとコリン・マクレーを起用。しかし序盤戦は第2戦のスウェーデンラリーでマクレーが3位に入ったものの優勝戦線には絡めずにいました。また前年の10月にはインプレッサがデビューしており、SWRTでもWRCの次期主力モデルとしてインプレッサをベースとしたグループA仕様車の開発を開始していました。
SUBARU陣営は第7戦のアルゼンチンラリーに不参加が決まっていたため、レガシィでの勝利にこだわっていた久世隆一郎STI社長にとって、残すチャンスは第8戦のニュージーランドと第10戦のオーストラリアのみとなっていました。(つづく)
今回は、Vol.103「ボディとシャシーを接合する」に挑戦しました。
①ジャッキを組み立てます。
②車体外装フレームとシャシーを接合します。
③フロントバンパーを取り付けます。
④車体外装フレームとシャシーを接合します。
今週は長丁場でした。
来週もよろしくおねがいします。
<スバルの歴史を学ぶ STI⑭>
背水の陣で挑んだ
ニュージランドラリーで初優勝
1991年、1992年とWRC優勝にあと一歩届かなかったSUBARUチーム。バブル景気が終わって自動車販売も厳しい状況を迎えるなか、このまま勝利できなかければWRC撤退の危機にも瀕していました。
レガシィでの勝利に
1993年、SUBARU陣営はBAT(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)のスポンサードを受けることになり、レガシィもイエローのロゴをあしらった「555カラー」となりました。チームの名称もSWRTに変更され、555カラーはSWRTのイメージカラーとして定着していきます。
1992年に続き1993年のSUBARUチームは、ドライバーにアリ・バタネンとコリン・マクレーを起用。しかし序盤戦は第2戦のスウェーデンラリーでマクレーが3位に入ったものの優勝戦線には絡めずにいました。また前年の10月にはインプレッサがデビューしており、SWRTでもWRCの次期主力モデルとしてインプレッサをベースとしたグループA仕様車の開発を開始していました。
SUBARU陣営は第7戦のアルゼンチンラリーに不参加が決まっていたため、レガシィでの勝利にこだわっていた久世隆一郎STI社長にとって、残すチャンスは第8戦のニュージーランドと第10戦のオーストラリアのみとなっていました。(つづく)
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