すばる星空倶楽部

SUBARUのある星景

SUBARUのある風景

本取材はコロナウイルス感染拡大予防対策を徹底した上で実施しました。星空観賞等で外出をされる場合は、国や各地方自治体の感染拡大予防ガイドラインをご参照ください。

関ケ原で星空ドライブ。

大河ドラマやPCゲームの影響で、この十数年は長い戦国ブームとなっています。最近は女性ファンが増えましたね。ファンの間では刀展覧会や城、古戦場を巡る旅が人気のようです。
今回は日本史上最大の合戦地、岐阜県の関が原へ行ってきました。戦国武将と星空についてのエピソードをご用意して皆さんを星空ドライブへいざないます。それでは行ってみましょう!

15万の軍勢が斬り合った野戦の地

15万の軍勢が斬り合った野戦の地

関ヶ原は伊吹山の南東麓に位置し、南北を山に囲まれた扇状地です。一言でいえば狭隘な平地。とはいえ東西両軍15万の軍勢が斬り合える広さがあります。当初は勾配の高い方に布陣した迎え撃つ西軍に陣形の利がありました。

ドライブはそんな関ヶ原決戦地からスタート。決戦地には立派な石碑が建っていました。すぐ近くに駐車場を完備した関ケ原笹尾山交流館があり、その奥には石田三成の陣地跡の小高い丘があります。交流館では甲冑体験も愉しめるそうです。

関ヶ原決戦地の石碑


決戦前夜。雨上がりの夜空に星は輝いていた?

関ケ原の戦いは慶長5年9月15日(1600年10月21日)に火ぶたが切られました。前日の雨のあと夜に空が晴れたため、放射冷却によって当日朝の関が原は濃霧が立ち込めていたようです。東軍は霧にまぎれて西軍陣地まで軍を進め、開戦時には標高の高い西軍の地の利がなくなっていました。開戦の地が思いのほか西軍陣地側なのも頷けます。野戦において距離0の乱戦は攻勢有利です。もし霧が出ていなかったら高台に大砲を構えていた西軍は戦いを有利に進められたかもしれません。

関ヶ原決戦地とS4

開戦前夜の1600年10月20日をインターネットの満月カレンダーで調べてみると月齢はなんと十四夜。星は見えにくかったかもしれません笑。しかし、むしろ東軍はかがり火を炊かずに月明かりで進軍できたのではないでしょうか。
当時の軍師の重要な任務のひとつに天候判断があ ります。星空観賞もそのひとつ。ひょっとすると先陣福島正則勢の軍師は月明かり晴れ渡る夜空を見て翌朝の霧を予想できていたかもしれませんね。

戦国武将の家紋には星が多い。

戦国武将は戦場で家紋の幟をよく用いました。これは字が読めない足軽兵士たちに敵味方を判別させるためでした。石田三成は関ケ原で「大一大万大吉」の家紋を敢えて掲げましたが、本来、石田家は九曜紋です。九曜紋とは太陽を中心に据えて8つの星が囲む紋です。九曜紋は厄除けの意味があるため、戦国時代に多くの武将が験を担ぐため使用したと言われています。
関が原の戦いではなんと東軍の細川忠興もこの九曜紋でした。

石田家の家紋 左は本来の石田家の家紋、九曜紋。細川家と同じ。
右は関ヶ原の戦いで使用した家紋、大一大万大吉。

毛利家の家紋 毛利家家紋、一文字に三つ星。オリオン座に因む。

三成は「一人は万人のため、万人は一人のため」の旗印で戦いに大義名分をつくる狙いがあったと思われますが、案外、九曜紋を辞めた理由はシンプルに細川家と重複するためだったかもしれません。三成に対してガラシャの敵討ちに燃える細川忠興は石田三成本陣で136の首級を獲る大活躍を見せたと伝えられています。
西軍ではさらに総大将の毛利輝元が星にちなんだ家紋「一文字に三つ星」でした。この三つ星はオリオン座の三つ星で将軍星と言われ、武運を司った星とされていました。


関ケ原の前夜、2時から3時に見えた星空。

関ケ原の前夜、2時から3時に見えた星空 現在の関が原は市街化されて明るいため、隣接する垂井町の明神湖から撮影しました。2月半ば19時で撮影したので関ヶ原の戦い前夜では2時から3時に見えたと考えられる星空です。すばるは天頂付近から南南西の方角に降りたあたりに輝いていました。

オリオン座 オリオン座。毛利家の家紋「一文字に三つ星」の三つ星はこの星座から。

すばる すばる。現在のSUBARUロゴはこの傾きが似ています。


翌日、滋賀県長浜でスバリストを訪問。

美しい街並みが残る長浜

翌日は関ケ原から西の琵琶湖畔に近世・近代の美しい街並みが残る長浜へ向かいました。長浜は関ヶ原の戦いを四半世紀遡った頃に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が城下とした街です。関ヶ原の戦いではこの街にある国友村の種子島(火縄銃)がたくさん使われました。現在は黒壁スクエアが目印の黒壁の街並みが人気観光スポットになっています。駐車場はないので近隣のコインパーキングをご利用ください。

長浜では#スバコミメンバーのTさんとお会いすることができました。このTさん。一見は小学生の息子さんが2人がいる可愛らしいママなのですが、じつは初代BRZ(ZC6)のMT車を操るガチのスバリスト!
お話によればTさんは元々インドアな少女時代を過ごされていたのですが、学生になって免許を取る頃に講談社の某漫画に夢中になって、スポーツカーに覚醒。インプレッサ を2台乗り継いで(GGA→GDB)BRZ に至りました。

スバコミメンバーのTさん

スバコミメンバーのTさん

「MT車は両手両足を駆使して自分がちゃんとクルマを動かしているのが実感できます。このBRZは息子が免許を取る日まで、ちゃんと残してあげたいです」とのこと。
息子さん2人とはファミリーイベントとしてSUPER GTやラリーの応援にも行かれるそうです。ご主人だけスバリストではないようですが笑、一家和楽のカーライフを愉しまれているようでした。

双眼鏡を使ってTさん親子と琵琶湖の景色を堪能。

本来は星空観賞をご一緒したかったのですが、取材日は雨模様。長浜港で水辺の景色を見渡しました。
「星のすばるは知っているのですが実際に見たことはまだないんです」というTさん。SUBARU星空ツアーの開催時は是非とお声がけしつつ、前日の夜に撮影したすばるをお見せしました。

双眼鏡を使ってTさん親子と琵琶湖の景色を堪能

Vixen 双眼鏡 SG2.1×42H

Vixen 双眼鏡 SG2.1×42H

星座観察用の超低倍率双眼鏡として開発された、倍率2.1倍、口径42mmの双眼鏡です。超低倍率2.1倍、口径42mmというスペックが、広い範囲の星空を見渡すことを可能にします。広い視野角は風景観察や観劇の際も活かされます。


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星空ドライブの参加募集中!!

今回は戦国時代という視点から星空ドライブをレポートしました。天体の運行が極めて正確に計算できる現代では、インターネットで400年前の星空まで知ることができるのがちょっとした驚きでした。星空ドライブにはそんな面白さも秘めているんですね。

SUBARUのある星景では、一緒に星を観てくださるSUBARU好きの皆さんを募集しています。 *お近くのおすすめ観賞スポットや取材希望の方は、お問い合わせフォームからご応募ください。 また、#スバコミTwitterでは事務局が選定したスポットでの取材希望者を募集しています。晴れても、そうじゃなくても、愛車の話を聞かせてください!
*取材は星空の観賞がセットとなります。予めご了承ください。

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戦国時代にちなんだスタンプラリースポット

伊吹山ドライブウェイ 伊吹山ドライブウェイ
信長の時代から関ケ原決戦まで、戦国時代では伊吹山の山麓でたくさんの合戦がありました。日本の東西南北を結ぶ重要な立地だったからです。夏季はすがすがしい山麓ドライブをお愉しみください。

伊吹山ドライブウェイの
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お茶屋敷跡 お茶屋敷跡
徳川家康が上洛の往還にあたって造営した将軍家専用の休泊施設の貴重な遺構。土塁や空濠の一部が現在も残ります。敷地内には牡丹が植えられ、開花時期は賑わいを見せます。

お茶屋敷跡の
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小牧山史跡公園 小牧山史跡公園
愛知県小牧市にある標高85.9mの小牧山は、家康の天下取りのきっかけとなった小牧・長久手の戦いの舞台。山頂には三層四階建ての小牧市歴史館があり眼下に濃尾平野が広がります。

小牧山史跡公園の
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