SUBARUトリビア
SUBARUの最新技術やサービスに関するトリビアを、
定期的に連載していきます。
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SUBARUが初めて量産車として発売したのはスバル360。でも初めて「スバル」という名前が付けられたのはスバル360ではありませんでした。「スバル」という名前が初めて付けられたのは、スバル360が発表される4年前に当時の富士重工業が試作し公開した「スバル1500」(開発呼称:P-1)でした。
このクルマに「スバル」という名前をつけたのは初代社長の北謙治。すばるは古くから日本人が親しんできた星団であり、6つの星が肉眼で確認できるため「六連星(むつらぼし)」とも言われます。これにちなみ、6社が合併して設立された富士重工業を象徴する名前として、社長自らが命名しました。
実は、このクルマの名前を決めるにあたっては社内公募も実施。「パンサー」「フェニックス」「坂東太郎」などの名称が集まっていたのだそう。もし「坂東太郎」が採用されていたら、今頃は株式会社SUBARUではなく、株式会社坂東太郎だったかもしれませんね。