SUBARUトリビア
SUBARUの最新技術やサービスに関するトリビアを、
定期的に連載していきます。
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現在、SUBARUの主な事業は自動車と航空機ですが、2000年代初頭までは、バスボディの製造も事業のひとつでした。
バス製造の歴史は実はかなり長く、富士重工業株式会社の設立前にまで遡ります。富士自動車工業*の前身である小泉ボデー製作所がバスの開発に着手、第1号車は1946年に群馬県のバス会社に納入されました。その3年後の1949年には、日本初のフレームレス・リアエンジンバスとなるR5型バスを完成させ、「ふじ号」と名付けられました。ボンネットが前に長く、エンジンの後ろに運転席を配置した「ボンネット型」のバスが主流のなか、飛行機づくりの技術を生かしたモノコックボディに、エンジンを後方にレイアウトしたR5型バスは、時代を先取りしたバスでした。
その後、SUBARUのバスボディ製造は2003年まで続き、累計生産数は8万1,292台。国内向けだけではなく、海外向けにも6,000両以上が出荷されました。ピークの1980年(昭和55年)には年間に2,393台、1日12台を製造していました。
*富士自動車工業株式会社は中島飛行機の伊勢崎工場を母体とする会社で、1955年富士重工業株式会社に吸収合併された
写真はスバルビジターセンターに展示されている「ふじ号」