SUBARUトリビア
SUBARUの最新技術やサービスに関するトリビアを、
定期的に連載していきます。
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東京のあちこちにある中島飛行機ゆかりの地。以前もトリビアで、旧中島飛行機三鷹研究所の施設の一部が国際基督教大学構内に残っていることを紹介しましたが、今回は、その隣接市である武蔵野市のスポットを紹介します。
武蔵野市にある都立武蔵野中央公園の区域には、かつて中島飛行機武蔵製作所という大きな軍需工場がありました。1938年に陸軍専用のエンジン工場である武蔵野製作所が開設されたのち、1941年に隣接地に海軍専用の多摩製作所が作られ、これら二つが1943年に合併し武蔵製作所となりました。現在の都立武蔵野中央公園は多摩製作所があったエリアです。
武蔵製作所は、東洋一といわれた航空機エンジンの大工場であり、「零式戦闘機」(零戦)や「一式戦闘機」(隼(はやぶさ))のエンジンが製造された場所です。約56万平方メートルという広大な敷地内では、多い時で4万5千人から5万人が働いていました。重要な軍事拠点であったことから、大戦末期にはアメリカ軍の攻撃目標になり、1944年11月から終戦の1945年8月の間、計9回もの空襲を受けることになりました。工場内で200名以上が、また工場を外れた爆弾によって数百名の市民も犠牲となったのです。
終戦後の1953年、工場の跡地に在日米軍将校の家族のための宿舎である米軍住宅グリーンパークが誕生。その後、1973年に日本に返還されたのち、1989年に現在の都立武蔵野中央公園となりました。
武蔵野中央公園内にある円型広場。
この場所は工場のほぼ中心にあたり、空襲の際の爆撃標準点(AIMING POINT)として度々標的となりました。
2016年8月、公園の拡張工事の際に、1938年の工場開設当時の「地下道」の、「床面(床盤)」など地下施設の一部が発見されました。地下道は工場敷地内に数kmにわたって張り巡らされており、一般従業員はこの地下道を利用し通勤していました。
武蔵野エリアに立ち寄られた際には、ぜひ武蔵野中央公園を訪れてみてくださいね!