スバル360ストーリー|スバル博物館

スバル360ストーリー

排気量わずか360ccのかわいらしいクルマスバル360は、その小さな車体に豊かな創性と合理性、高い性能と大きな夢を盛り込んでいました。1958年の誕生以来、R2にバトンタッチするまでの約12年間にわたり、大きなモデルチェンジをすることもなく作り続けられたスバル360は、日本のモータリゼーションの発展に大きく貢献したと言えるでしょう。ここではそんなスバル360が、現役で活躍していた12年の間に残してきたさまざまなエピソードを紹介して行きましょう。

モータースポーツでの活躍

第2回日本グランプリ自動車レース
スバル360 T-1クラスワンツーフィニッシュ

1960~1963年(昭和35~38年)にかけて、「スバル360」の成功に刺激され、各社から軽自動車が続々と発売され、軽自動車ブームが到来した。それらのライバルとの商品性の違いをきわめて明確に実証したのが1964年5月に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリであった。大会2日目に開催された排気量400cc以下のT-Iクラスに出場した「スバル360」は、スズライト360、マツダキャロル360らの強敵に大差をつけて勝利し、連続高速走行性能を実証した。

104.27km/h

上の数字は、グランプリレースの行われた鈴鹿サーキットで出した「スバル360」優勝車の平均時速。

鈴鹿サーキットで行われた第2回日本グランプリT-Iクラスで1位2位を独占したスバル360
第2回日本グランプリの会場風景(昭和39年5月 鈴鹿サーキット)
スタート直後。大久保ドライバーが運転する9番スバル360は一瞬出遅れたが、このあと第一コーナでトップに立つ。

桶谷さんのヨーロッパドライブ

スバル450がヨーロッパを走破

1960年(昭和35年)、発売前の4台のスバル450が、旧ソ連を含む12の国々を歴訪した。

1台は運輸省技官の宮本氏が5000キロ、他の3台は東京工業大学の桶谷氏と同大学自動車部の学生が15000キロを無事走破して、スバルの高性能と耐久性を世に示したばかりでなく、日本の技術を広く世界に知らしめることになった。

パリのエッフェル塔を背景にしたスバル450と学生達

会員登録のご案内

スバルとクルマが好きな方なら誰でも会員登録できます。

  • 会員登録は無料
  • 車をお持ちでない方大歓迎
  • 他メーカーの自動車オーナーの方でも登録OK
SUBARU IDのご紹介 IDひとつで、もっと広がるスバルライフ!
#スバコミサイト内検索
マイスバル