スバル360ができるまで|スバル博物館

スバル360ができるまで

スバルが世に初めて送り出した名車スバル360。かわいらしいボディながら、乗用車に負けない走行性能と乗り心地を持つこのクルマが、まだ舗装が行き届いていなかった日本の道路をどこまでも走り続けるその姿は人々を驚かせました。そして、日本のモータリゼーションの先駆けとなって、デビュー以降12年間に渡って作り続けられる傑作車となったのです。スバル360の息吹はデビューからさかのぼること3年前の昭和30年(1955年)12月9日に芽生えました。試作段階での名称は“K-10”。ここでは、そのK-10がスバル360としてデビューするまでの物語をご紹介しましょう。

K-10計画

昭和30年12月9日、伊勢崎製作所で”4輪車計画懇談会”が開かれ、軽自動車の生産を公式のテーマとして検討することになりました。そしてつけられたコードネームが”K-10”でした。
K-10試作の主要な課題は、車体の軽量化、生産の簡易さ、大人4人の充分な車体スペースの確保、快適な乗り心地の実現、そして軽量で高出力・高耐久性エンジンを開発することにありました。

軽自動車の枠のなかで、製造原価の低減と小型車並みの性能の実現という相反する要求を同時に満たし、ひとつの設計思想のなかにまとめあげるのは容易ではありませんでしたが、スバルのエンジニアは、この”大きな冒険”に挑戦したのです。

車重の軽量化はモノコックボディを採用したことを初め、鋲一本一本の頭を平らにすることで軽量化を図ったという、かつての航空機技術が随所に生かされました。最大の課題である乗り心地は、”悪路を時速60kmで飛ばせる車”を合い言葉にしましたが、車両重量、懸架装置、スプリングなどミニカーの場合は多くの悪条件が重なって困難を極めました。しかし、理想のミニカー造りに情熱を賭けた技術者たちは、ついに当時の国産自動車には全くみられなかった4輪独立懸架装置を開発しこれを解決したのです。エンジンの試作も難問を極めましたが、走行テストの最大目標であった赤城山の新坂平(全長14km、平均勾配13度、でこぼこした石ころばかりの悪路)の全力登板に成功するとともに、運輸省の認定テストでも16.7馬力をマークし高出力化を達成しました。しかも、その燃費は1リットルあたり26kmで、小型車のそれを大幅にしのぐ経済性を実現しました。ボディースタイルは、「国民車を意識したこの種の車は、時代感覚を備えながら、しかも時代を超えた長い期間、モデルチェンジを必要としないスタイルをとるべきである」との考え方をもとに、佐々木達三氏を中心として、設計技術者、生産技術者、デザイナーが一緒になって検討し、倉庫の片隅で着々と進行していきました。

こうして、寝ても覚めても難題との解決に取り組み、ベストをつくした結果、全長2.99m、全幅1.3m、全高1.38m、車両重量385kgの枠内に、モノコック構造、空冷2サイクルエンジン、RR方式、四輪独立懸架、樹脂製ルーフなど数々の画期的な技術を採用し、乗り心地、操縦性、安定性など、小型車 に劣らない性能をあげたK-10は”スバル360”と命名され、昭和33年3月3日に人々の前に姿を現したのです。

  • K-10の1/5の木型。
    木型に打たれた釘の頭は、最小限必要なスペースを示したもの。これに粘土を盛ってスタイルを決めたので、この木型を木芯と呼んだ。

  • 1/5粘土モデル。
    上の木芯はこの粘土の中に隠されている。この粘土モデルを土台にして、いろいろと検討が加えられていった。

  • 1/5モデルでの検討が終わると実物大の粘土モデルが作られ、伊勢崎製作所の広い倉庫の裸電球の下で、現寸モデルでの検討が繰り返された。ほぼ完成された現寸粘土モデルだが、試作型のもので実際に量産されて市販され たものよりやや直線の部分が多い。

  • 現寸粘土モデルに石膏をかけ、針金などの補強材を用いて石膏の雌型を取る作業がこれに続いた。

  • 外側を木材などでしっかりと固定し、石膏の固まるのを待つ。季節は秋にかかっているというのに、倉庫の中の作業は半袖のシャツでも汗を覚えるほどだった。

  • 雌型からは設計用とデザイン用の2個の石膏現寸モデルが作られた。

  • K-10は線図から模型をつくるのではなく、石膏モデルから線図を起こすという逆の工程で進行された。そのために2つの現尺モデルが必要になったのである。

  • モデルから線図を書き起こすために、石膏現寸モデルの1台には丹念に罫線が書き込まれ、それから図面が引かれた。

  • 石膏現寸モデルの他の一つは外装艤装品のデザイン研究用として使われた。

  • 石膏の雌型は、そのまま粘土で厚みをつけ室内デザイン用として用いられた。

  • むずかしいカーブなどほとんど手叩きで作られた試作1号車のモノコック・ボディ。

  • 試作1号車のモノコック・ボディ内部。シートの取付け方その他、市販されたスバル360とはかなり様子が異なる。

  • スバル360試作1号車の完成式の様子。完成式は1957年(昭和32年)4月20日工場の片隅で行われた。白紙からスタートして僅か1年3ヶ月という超スピードであった。

  • 工場の片隅で誕生したK-10の試作1号車。詳細に見ると、外見上も市販されたスバル360と相異する点が数多く見受けられる。

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